2006/04/09

改憲批判は「内政干渉」か?

 この国の政治家たちは、中国や韓国から何かしら批判を受けると、すぐ「内政干渉」だと反発して見せる。
 例えば、韓国・盧武鉉大統領の3・1節記念式典演説に対する反応など、その典型的な例だろう。

 韓国の盧武鉉大統領が一日、「三・一独立運動」記念式典の演説で、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を重ねて批判し、憲法改正論議にも注文をつけたことに、政府内からは内政干渉だ、との反発が広がった。

 大統領の発言について小泉首相は、「憲法はその国自身が考えることだ。戦後六十年の日本の歩みをよく見てほしい。これからよく日韓友好に努めていただきたい」と不快感を表明した。安倍晋三官房長官も会見で、憲法改正は「日本人自身の手によって決めることで、まさに内政問題だ。平和主義の基本方針を覆すような(憲法)議論はまったくなく、大統領の指摘はあたらない」と批判した。 (2006.3.2 産経新聞)

 盧大統領がこの演説中で改憲問題について触れたのは次の一節である。

日本が‘普通の国’ひいては‘世界の指導的な国家’になろうとするなら、法を変えて軍備を強化するのではなく、まず人類の良心と道理にあった行動をすることによって、国際社会の信頼を確保していくことが、正しい道であろうと思います。

 これが内政干渉だと言うのなら、政府当局者が他国の政治動向に対してコメントするのはすべて内政干渉になってしまうだろうし、アメリカ政府によるあからさまな内政への口出し、「規制改革要望書」には唯々諾々と従いながら、アジアからの苦言には不快感丸出しに反発するのはダブルスタンダードそのものである。
 しかし、今回取り上げたいのは、そうした問題ではない。小泉首相や安倍官房長官が、どうやら改憲問題を内政問題だと思っているらしい、その不見識についてである。

 言うまでもないことだが、主権在民も、三権分立も、男女平等も、言論・信教・結社の自由も、およそ日本国憲法に含まれる平和的・民主的要素の中に「日本人自身の手によって」獲得したものなど一つもない。日本が台湾・朝鮮を植民地化し、中国を侵略し、ついには東南アジアにまで手を伸ばし、無謀な侵略戦争を仕掛けて惨敗した、その結果にほかならない。あの敗戦がなければ、我々は今でも神聖不可侵の天皇に隷従する「臣民」「赤子」のままだっただろう。
 日本国憲法は、日本人300万、そして2000万ともそれ以上とも言われるアジア人の血によって購われたものなのである。
 とりわけ戦争放棄を謳った憲法9条は、日本がアジアの人々に向かって、もう二度とあのようなことはいたしません、と誓った条文なのである。その9条を改変するということは、かつての行為を反省などしていないと公言するのも同然であり、もう一度近隣諸国に対して宣戦布告をするようなものなのだ。

 「戦後六十年の日本の歩み」などと口にしながら、小泉首相には日本の近現代史に関する認識がまったくない。安部氏も同程度か、あるいはそれ以下だろう。
 このような人物たちが政府の中枢を占めているという事実そのものが、他者に目を向けることのないこの国の閉塞状況を象徴している。

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